紫村仁美 Shimura Hitomi
早稲田大学在学中はインカレで2度優勝。2013年4月同学卒業後、佐賀県立三養基高校の保健体育教員を経て、2015年8月から東邦銀行陸上競技部に所属、2022年4月からリタジャパン株式会社に所属、2022年4月より佐賀県『SSPハガクレアスリート』に認定されている。2013年6月に開催された第97回日本陸上競技選手権大会100mハードルにおいて、日本歴代2位タイ・大会新となる13秒02で優勝した。2024年パリ五輪出場を目指している。佐賀県出身。
新里裕之 Shinzato Hiroyuki
2003年、FC琉球の創業に参画。クラブを史上最短で8部から3部まで、わずか4年で昇格に導く。J1から8部リーグまで全カテゴリーにおいてGM、強化、監督それぞれの責任者としての経験をもとに、日本と海外をつなぐ企業として株式会社BLOCKCHAIN FOOTBALL設立。2022年8月オーストリアブンデスリーガ・SKNザンクト・ペルテン ジャパンスポーツマネージャーに就任。沖縄県出身。
今回は2024年パリ五輪を目指し日々挑戦を続けている、女子100mハードル日本代表(2017年世界選手権)紫村仁美選手/リタジャパン株式会社所属。そしてオーストリア・ブンデスリーガ SKNザンクト・ペルテン ジャパンスポーツマネージャーに就任された新里裕之さんにお話を伺いました。
日本から世界へ向けて挑戦を続けるお二人。そんなお二人の共通点は「飲む応援」を通して夢実現に向けて挑戦し続けていること。挑戦を諦めない日本人を応援する「飲む応援」がどのように紫村選手、新里スポーツマネージャーに関わっていったのか。そしてその後のビジョンを語っていただきます。
聞き手:野口必勝
野口必勝(以下 野口)
はるばるお越しいただきありがとうございます。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
紫村仁美(以下 紫村)・新里裕之(以下 新里)※敬称略
よろしくお願いいたします。
野口
今回の対談では、なぜ世界へ向けて挑戦するアスリートたちが「飲む応援」に着目しているのか。
紫村選手はアメリカ。新里さんはヨーロッパに向けて。今まさに日本と世界を股に掛けていらっしゃるお二人に、ご自身の経験や、挑戦を行うにあたって感じている壁、今に至るまでの経緯、想い、そして将来目指すべきところを交えて伺いたいと思います。
野口
紫村さんはご出身が佐賀県鳥栖市で、新里さんもまたサガン鳥栖というJ1クラブをゼネラルマネージャーとして成果を上げていらっしゃいます。佐賀で活躍されたお二人で、何かと共通点が多い印象ですが。新里さんは陸上もされていたそうです。
紫村
そうなんですね!本当に共通点が多いですね(笑)
陸上、どうでした?サッカーと通じるところはありましたか?
新里
陸上とサッカーに通じるところ…やっぱり、走る・判断する・予測するとか。それこそ技術面。分析っていうところではコーチとのリレーションもいりますし。
僕が陸上から学んだのは「準備」ですね。ウォーミングアップ、適当だったんですよ僕。
25年前ぐらいかな。最初からボールがあって。自分の中ではそれなりにプレーが出来ていたから何てことないだろ。って思っていたんですけど。
陸上を始めてウォーミングアップの大切さを学んだんです。
最初からボールを使って何とかやろうと思うと、自分の温度感でモチベーションが上がるだけだから、みんなと比べて格段に低いんですよ。やる気が。ただサッカーで遊ぶぐらいだったらいいんでしょうけど、世界を目指すとか、そういう心があるような人たちの環境で高いレベルのサッカーやるとなると、基礎からの「準備」が必要不可欠だなって。
それこそ僕が27歳の頃、トルシエ監督のもとでコーチをしていた時。何から始まったかっていうと、歩き方なんですよ。
紫村
へぇ!
新里
フランス人のPT(理学療法士)が来て、まず最初に歩き方、後ろ姿とか。動画をとにかく撮って、それを1週間ぐらいずっとやって。それだけですよ、練習(笑)
で、合宿に入る前に全員分析したものを、こういう歩き方じゃ駄目だとか、こういうふうにリラックスして歩かなきゃ駄目だとか。ここに力が入っていると、90分はもたないとか。そういう話をされて。
やっぱり体の仕組み、基礎基本。そういったところから入っていかないと、サッカー選手でもほんの数ミリ、ボールを触れるか触れないかの世界で勝ち負けが左右しますから。
陸上で学んで、しかも共通しているなと感じたのは、準備かな。すごく大事だなと思いました。
野口
新里さんの話の中でトルシエさんが出てきましたけど。
紫村さんも今、アメリカでトレーニングをされていますよね。パリ五輪を目指していく上でなぜアメリカのコーチの指導を選択されたのかお伺いできますか?
紫村
はい。少し長くなりますが、まず大学を卒業して実業団っていう道もあったんですけど。教員採用試験に受かっていたので故郷の佐賀に帰って教員をしながら陸上をする道に進んだんです。

恩師の吉松先生(現佐賀龍谷学園校長)に教えて頂いていたのですが、自分自身ハードルの技術に物足りなさを感じて。そんな時にモスクワ世界選手権に出場したんです。そしたら、世界の選手が動きが全く違うんですよ!
私の動きとか、力の発揮の仕方もそうだし、走り方のフォームも、ハードリングも全く違う。それを目の前にして「世界で戦おう」なんて言っていられない。と痛感しました。


でもオリンピック出場の夢は捨てきれなくて。今の私の実力じゃ、教員しながらオリンピック出場なんて叶わないと思い、思い切って辞めて。そんな時に声を掛けて下さったのが、当時東邦銀行陸上部の故・川本和久監督です。
監督は同じ故郷の佐賀県、伊万里市出身で。吉松先生とも繋がりがあり東邦銀行に移籍しました。川本監督は100mも200mも400mも走り幅跳びも日本記録を持つ選手を大勢育てていて。これで私も日本記録更新、オリンピック出場も近いぞ!と思っていたのですが。
日本の陸上競技の根底には「とにかく早く走る」「足が早くないとハードルも早くならない」というのがあって。100mハードルの技術の部分、細かいところが自分自身伸ばせなくて。
自分の中では、足が速くてもハードルが飛べないとか、踏み切りがちょっと違うとか、スピードにあった踏切ができていないとか。本当に細かいところではあるんですけど、そういったもどかしい気持ちで福島にいたんです。
それが5年前。そんな時にアメリカのジョンソンコーチを紹介していただいて初めてアメリカに行ったんです。
コーチは英語だったんですけど、すごく分かりやすく教えてくれて。表現の仕方も日本と全く違うし。
何より、最初に私が衝撃を受けたモスクワ世界選手権にいた選手たちが沢山そこで一緒に練習していたので、自分とは何が違うのかっていうのを、練習で何度も何度も感じられる。
自分はどこを直したらいいのかっていうのを、レースではなくて練習の中で変えることができる。
そういった環境面とか、コーチの教え方が私のフィーリングに合っていたというところで、ジョンソンコーチはすごく良いなって思うようになって。


長く福島でトレーニングはしていたんですけれども、東京オリンピックの時に「もうこれが最後だ」って思ってトレーニングはしていたんですが、オリンピックには出場できなくて。このまま自分の陸上生活が終わるのがちょっと嫌だなというか後悔があったので。
本当に自分にとってフィーリングがあった場所で、自分の後悔のないようにトレーニングをしたいと思い、アメリカのコーチに全てを捧げる想いで銀行を辞めて、2022年の冬からアメリカでトレーニングを本格的に行うようになりました。
野口
2人の話を聞いて共通していることは海外の指導者との出会いですよね。
これから世界を見据えて戦っていく中で、小さい頃からやってきた日本でのトレーニングや指導者との出会い、それはそれでもちろんベースにあるんだけれども、視野が広がった分岐点として外国人指導者との出会いが大きかったんですね。紫村さんはパリ五輪を明確な目標として今頑張られていると思うのですが。
私もさっき聞いてなるほどと思ったのが、これまで陸上って単純に身体能力のスポーツだと思っていたんです。でもハードルは技術で賄えるというところ。そこが面白いところですね。
今紫村さんの記録が13秒02。五輪出場のためにクリアしなければならない標準記録が12秒78。この数字を埋めるために紫村さんはどのようなことを意識されていますか?
紫村
単純に100mのスピードを上げることはもちろんなんですけど、それ以上に10台ハードルがあるので。ロスなく、ブレーキをかけることなく、どんどん加速していくようなハードリングの技術を身につけることが重要だと思います。
それを身に付けるのに必要なのが今の環境ですね。アメリカはハードルの技術がすごく高くて、世界ランキングでも上位なので。“ハードル専門のコーチ”の元でトレーニングを積むことが数字を埋めるための近道だと思います。



野口
なるほど。今ライバルの中でそういった環境に身を置いてトレーニングしている選手はいらっしゃるんですか?
紫村
いないですね。去年までは1人、木村選手がアメリカのコーチをつけてやっていたんですけれども、引退されて、私1人ですね。
野口
来年が最後の挑戦ですから。アメリカを拠点に頑張れるような体制を作っていかなかればいけませんね。
新里さんは、指導者としてのキャリアをお持ちですが。
若手選手が世界へ挑戦する姿を見てきて、決してエリートとは言えない選手であっても引き上げてキャリアアップさせてきた。海外の指導者とも向き合える鋭い感覚で見た時に。あと0コンマ何秒詰めなければならない。日本から3人しか出られない。ここを超えられればオリンピックに行ける。その状況下で現時点では4番目。
業界は違いますけど、世界を目指す紫村選手へ向けて何かアドバイスはありますか?

新里
そうですね。ここを超える超えないってものすごく大きいと思います。でも必ずしも不可能ではないと思います。
僕が常日頃大事だなと感じているのは、新しいことに対する「実践」です。
実践することで、良くも悪くも結果が出る。求めるものが明確になる。実際紫村さんは既に実践を始めていて、そう考えるとこの数ミリ。何で差をつけるかは一つしかなくて。
もうここからは日の丸背負うというか、世界を見据えたとき、日の丸背負った瞬間から本当の勝負が始まる。今、どれだけ陸上に夢中になれるか。そのメンタルをどれだけ維持できるか。
紫村さんは日本ではある程度の流れ、計算が立っていたはずですよ。でもその安定を捨てて日本を飛び出す判断をしたということに大きな意味があると思います。
あえて厳しい世界に身を置いて、集中する。それが実践できる人ってなかなかいないです。
紫村さんとはまだ少ししか話してないですけど。「もうここまで来たら行くな」っていう感じを受けたのはそこです。超えられる人だと。僕は勝手に思ってるんで。
僕のアドバイスなんてなくても、そのレールの中で戦ってやっていけると思います。紫村さんには次世代の日本の子供たちに向けて背中をしっかり見せてほしいですね。
僕はただただ応援したい、という気持ちが強いです。

紫村
ありがとうございます!
野口
新里さんの仰る通り、日の丸を背負ってパリ五輪で走る姿を見たいですね。
新里
躊躇なく厳しい環境作りができるってすごいと思います。海外を選択する選手って先を見据えているじゃないですか。サッカー界って他の競技と比べてマーケティング的に進んでいるところがあるし。情報もすぐに取りやすいですけど。陸上、しかもハードル。そんなにないはずですよ。その中でその選択ができるっていうのは本当にすごい判断ですよね。
野口
そのままの勢いで頑張れるようなサポートをしたいですし、背中を推してあげたいですよね。
この11月からまたアメリカに行かれるとのことなので。我々リタジャパンチームも「飲む応援」の取り組みを通して、佐賀県をはじめ既にいろんなところから紫村選手に対してのご支援をいただいておりますので。
この輪をどんどん広げて、日本人が世界へ挑戦しやすい環境を作っていきます。まずは紫村選手自身が、どこまで上り詰められるか。後悔なく挑戦をしてほしいですね。



新里
海外で活躍する日本人サッカー選手たちも飲む応援に注目し始めていますから。
海外を拠点にするための資金作りの一つの手段としても。可能性を感じますね。
それで言うと僕も2014年、ブラウブリッツ秋田にいた頃に「飲む応援」を通して子どもたちが身近に夢を感じられる環境をつくってもらいました。




野口
懐かしいですね!中山雅史さんや名波浩さん。往年のサッカー日本代表選手が大集結してくれて。
あの時は半年で400万円ほどのプロジェクト資金を作ることができました!
紫村
すごいですね!


新里
子どもたちが多くの観客の中で元日本代表選手とのドリームマッチが実現できて、本当に感動しましたよ。あの経験こそ、僕が感じた「飲む応援」のポテンシャルの高さですし、「飲む応援」はアスリートが必要とする可能性を引き出してくれると確信しました。
秋田の子どもたちの嬉しそうな笑顔は今でも忘れられないです。
野口
紫村選手も、パリオリンピックを目指す上で必要な年間予算は400万円ですから。決して実現できない数字ではないと思っています。
新里
コツコツ地道に積み上げていけば、必ず結果につながる。それが「飲む応援」だと思いますよ。アスリートとしては夢を叶えられるし。支援者の輪も広がるし。笑顔も生まれる。
僕が所属するクラブでもオフシーズンに海外を目指す日本の子どもたちを招待してサッカーキャンプを開催したり、両国の国際交流を目的とした取り組みの実現に向けて「飲む応援」を取り入れていきたいと思っています。

野口
ありがとうございます。今回紫村選手とは、飲む応援プロジェクトが繋いだご縁でサポートをさせて頂いているのですが、オリンピックに行くぞ!って。一緒に同じ夢を追いかけさせて頂けることに心から感謝しています。
紫村
こちらこそ。地元の鳥栖の皆さんと実際に交流する機会も頂いて。本当に感謝しています!サポート頂いている皆さんに、笑顔で良い報告ができるように、プライドを持って来年1年。頑張ります!
野口
期待しています!
紫村選手、新里さん、本日は貴重なお時間をいただき誠にありがとうございました!
