【Vol.04】 武田康志さん | 医療法人TSC タケダスポーツ・ビューティークリニック 整形外科・リハビリテーション科 理事長

今回は福岡市城南区にあるタケダスポーツ・ビューティークリニックの理事長である武田康志先生にインタビューをさせて頂きました。武田先生は日本で初めてスポーツ整形に特化した科を創設された関東労災病院スポーツ整形外科の診療メンバーとして、豊富な現場経験を積み、Jリーグなどチームドクターを歴任。2011年に武田スポーツ整形外科クリニックを開院されました。武田先生が医者を目指すきっかけ、現在に至るまでのエピソードをお聞きしました。
根っからのサッカー好きと話す武田先生。大好きなサッカーに対する想いに触れました。また2021年11月には、院内・院外に「飲む応援自動販売機」を設置いただきました。クリニックとして、社会や地域の為にできること、その想いについてもお話しくださいました。

聞き手:赤星拓

赤星拓(以下 赤星)
本日は大変お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。先生がスポーツドクターになろうと思われたそのきっかけをお聞かせいただけますでしょうか?

takeda_02

武田康志(以下 武田※敬称略)
医者になるきっかけは、ドラマでした。小児外科医を題材にした丹波哲郎のドラマを観まして、その中に「小児外科医は子供に夢を与えられる仕事だ」というようなセリフがあったんですよ。その言葉が何か心に残っていました。当時の順天堂の小児外科医の先生の本とか、他にもいろいろ本を読んで、医者になりたいなと思ってたんです。
中1の時に父が脳血栓で倒れたんです。その時、半身麻痺で呂律が回らない父の姿があって。目の前でどんどん悪くなっていく様子を身近にして…。そんな中ではじめ来てくれた先生の処置がよかったので後遺症もなく元気に回復しました。父が回復していく姿を目の当たりにして、それで本格的に私も医者になりたいなと思いました。

医師への道は紆余曲折、頑張れたのは「サッカーがあったから」


武田
私の家系に医者がいませんでした。当然わからないことも多く。医者への道は紆余曲折しながらでした。小2からサッカーを始めて、少年団に入りました。サッカーをはじめてからずっとサッカーが大好きで。学業の成績が悪くても、サッカーをやってると楽しくてまた気持ちが上がってくるんですよ。心が折れなかったのは、いつもサッカーが寄り添ってくれていたおかげです。一浪して産業医科大学に進学しました。とにかくサッカーがしたかったんで、入学式の前からサッカー部の練習に参加してたんですよ。試合とかにも出てたんですよ(笑)

takeda_03

赤星
ははは(笑)入学前にサッカー部に入れるんですね(笑)
武田
サッカー部の飲み会とかも行ってて(笑)
赤星

ははは(笑)しかし、試合に出れるもんなんですね(笑)
武田

いやいや、練習試合だったからですよ(笑)
大学の入学式の後に部活のオリエンテーションがあったんですが、その時に先輩に「もう既に入部してるやつがいる。飲み会も来て、練習試合で出てるやつがいる」と言われたんです。前に立って「みなさん、サッカー部に入ってください」って言った覚えがあります(笑)
赤星

ははは(笑)
武田
本当にサッカーが大好きなんですよ。当時の医学部はサッカー経験者が少なかったんですよね。私はずっとサッカーをしてきてるから、朝練なんかもしますけど、そういうのもなかったので、「まずは朝練からしよう」と先輩を練習に参加させるんです。
先輩に「朝練に来てください」と声かけて。負けたくない気持ちが強くて、ずっとそんな感じでサッカーをしてました。キャプテンもしましたし、医学部に居ながら6年間ずっとサッカーをしてましたね。
赤星
へえー!
武田
卒業後は産業医科大学整形外科に入局し、いろいろ模索しながら、結局7年ぐらいは色々な科をローテーションしてました。その中で、やっぱりスポーツが好きだったし、サッカーに関わりたいっていう気持ちが強かった。

takeda_04

武田
そんな時に、たまたま麻酔科研修で出会った先生の故郷が私と同じ茨城県の日立市でして、しかも私の所属していた日立サッカー少年団の先輩と知って、仲良くしてもらって。その先輩から「タケちゃんがそんなにサッカー好きだったら医局を辞めて…」と誘われました。
状況もあったので「できません」って断ってたんですが、それでも「来いよ」って誘ってくれて。誘ってもらって、一番初めに行ったのが、西が丘サッカー場。定期的に順天堂大学の池田先生に付いて行って、西が丘サッカー場に行ってました。
赤星
今のJリーグで言うと会場Drみたいな感じですか?
武田
そうそう!順天堂のドクターとして行ってたんですよね。それも初めてでね。それを経験して、この世界があるんだったら俺