今回は福岡にあるフクオカーナジュニア・クラブ代表の三船竜馬氏にインタビューをさせて頂きました。福岡から単身ブラジルへ渡りサッカー選手としてご活躍をされ、現在はフクオカーナジュニアクラブを運営し、子供達にサッカーを指導されています。 2021年12月、CAF(Club Atletico Fukuocana)アカデミー・ジュニアユース様が運営するブラジルフットサルパーク新宮に飲む応援自動販売機(2台目)を設置頂きました。この自動販売機の利益の全ては『CAF(Club Atletico Fukuocana)アカデミー・ジュニアユースを通じた子供達のスポーツ環境支援』に充てられます。 フクオカーナジュニア・クラブ代表として三船氏が子供達に伝えたい想いや社会や地域の為に活動していきたいこと、クラブを設立するまでのエピソードなどお話しくださいました。
聞き手:赤星拓
赤星拓(以下 赤星)
本日は大変お忙しい中、お時間を頂きありがとうございます。
まずは三船竜馬さんがこれまでサッカーとどのように向き合ってこられたのか、現在に至るまでの経緯をお聞かせください。
三船竜馬(以下 三船※敬称略)
私は1980年生まれ、福岡市西区の出身です。サッカーとの出会いは、小学校3年生の時、友人のお母さんから「サッカークラブに人が足りないから入ってよ!」と地元のサッカークラブに誘われて練習に行ったことがきっかけでした。サッカーに出会う前は、野球ばかりしていたので、野球クラブに入ろうかなと思っていました。サッカークラブに誘われるまで、サッカーというスポーツを多分知らなかったと思います。
赤星
へぇ!!
僕はブラジルに行ってサッカー選手になる!
三船
私の母は看護師で学校帰りは母が勤める病院で待っていました。幼い頃から医療現場に近い環境で育ったので、その本日は大変お忙しい中、お時間を頂きありがとうございます。
まそのサッカークラブの練習に行ってみて、サッカーがすごく楽しかったんですよ。そこから、サッカーにのめり込んでいきました。当時、小学校6年生の上級生と一緒にサッカーをするのがめちゃくちゃ楽しくて、人数が少ないチームだったので、3年生の時から6年生の試合とかにも出たりして、サッカーが大好きになって、毎日ボールを蹴って、サッカーに夢中になっていました。
当時、『読売サッカークラブ』というブラジル色がすごく強いサッカーチームがテレビでよく流れるようになって、ブラジルという国を知るようになりました。その頃から「僕はブラジルに行ってサッカー選手になるんだ!」と思っていて、それを周りの人達にも言ってましたね。
赤星
三浦知良選手がブラジルでプレーされていましたね。それは影響を受けましたか?
影響ありましたね。その後Jリーグが開幕してラモス瑠偉とかビスマルクとか南米の選手達のプレーがすごく刺激的で「僕はブラジルでサッカー選手になる!」としか思ってなかったですね。小学校の卒業式でスピーチしたり、文集にも書いたと思います。その当時、親がどう思っていたのかはわからないですが、周りの人達には「僕はブラジルに行く!」と言ってるようなサッカー少年でした(笑)
ブラジルへ行きたいという強い気持ち
三船
私は1980年生まれ、福岡市西区の出身です。サッカーとの出会いは、小学校3年生の時、友人のお母さんから「サッ中学校もサッカー部に入り、高校は地元のサッカー部が強い県立高校を選んで進学したのですが、本当は高校に行かずにブラジルに行こうと思っていたんですよ。
ただ家庭では高校に進学するというような雰囲気があったので高校進学を選びました。ですが、高校卒業後はブラジルへ行きたいという気持ちがあったので、お金がかかる私立ではなく、学費の負担が少ない公立高校、またサッカーの指導者の先生が所属している高校を選び進学することを決めました。
三船
高校のサッカー部は福岡県大会に出場するぐらいのレベルのチームで、毎日一生懸命サッカーをしている学生時代でした。高校入学後の1年生の進路相談がある中で、「高校を卒業したらブラジルに行く」と言っていたら、父が「それなら1回ブラジルに行ってみろ!」と言ってくれて、高校2年生の夏休みの1ヶ月間、ブラジルに行くことになったんです。
赤星
お父さんも三船さんの夢を後押ししてくれたのですね!
三船
ブラジルから帰ってきても、気持ちは変わらず、卒業した後は「ブラジルに行きたい、チャレンジしたい」と言い続けていました。親も私の夢を後押ししてくれ、高校を卒業してすぐに本当にブラジルに渡りました。18歳から24歳まで6年間(その間ビザの関係で一時帰国してた時もありましたが)、滞在期間の4年半ぐらいはブラジルのプロリーグでプロ契約をして3、4シーズンぐらいプレーをしてました。
夢を実現し、ブラジルでサッカー選手に
赤星
プロサッカー選手としての契約のみで生計を立てられていたのですか?
三船
はい。プロサッカークラブに所属していたので、チームの寮に入って、住む場所も食事もあり、平日はトレーニングをして、週末は試合をして、といったような生活をしてました。
赤星
それはすごいですね!24歳までブラジルでプロサッカー選手として生きてこられた中で、契約更新やクラブも変わっていく状況だったと思うのですが、日本に帰国しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
三船
そうですね、プロ契約した時が20歳の時だったのですが、それから3シーズンぐらい、20~24歳までプロサッカー選手として活動する中で、ブラジルの15、16歳ぐらいの若手の選手達がどんどん出てくるわけですよ。全国的に知名度はまだないけど、本当にいたるところにそういうレベルの高い選手達が出てきて、自分がいたチームにもそうやって15、16歳の選手達がプロの中に入って食い込んできて。それをたくさん見てきた中で、このまま自分が外国人選手としてここブラジルで競争していけるのか、もう無理なんじゃないかな、と正直なところ思いました。
それなら、まず日本に戻って、Jリーグにチャレンジしたいというのが帰国しようと思った大きなきっかけですね。ブラジル人の若手選手の才能に、ちょっと参ったというか(笑)本当に次から次に出てきますからね。
赤星
では日本に帰国して、Jリーグ入りを目指してクラブなどを探されたのですか?
三船
そうですね。自分で色々と人伝に当たりながら、あるクラブにテスト生として参加していました。しかし、すぐ怪我をしてしまい半年弱ぐらいサッカーができない時期があり、タイミングが合わずにチームが決まらない状況が1年弱続いたんですよ。そこでもうサッカー選手としての人生を終える決断をしましたね。
いつも悔いを残さないように生きてきた
赤星
サッカー選手を終えると決めた時はすっきり決断できましたか?
三船
そうですね。ブラジルにいた時から、いつ自分がクビになるかという危機感は本当に毎日のように感じていました。毎日選手達が入れ替わっていくのを目の当たりにしてきたので、「自分のサッカー選手としての人生がいつ終わってもいい」という覚悟は常に持って生活をしていました。だから毎日一生懸命サッカーと向き合って生きてこれたなと思っています。サッカー選手を終えると決断した時も、そういうタイミングが来たなと思ったので、意外と引きずることなく、自分の気持ち的には次の段階に進もうという思いでした。
『毎日が最後』という覚悟だからこそ、シビアな世界に身を置けて、追い込んでいけたんだろうなと。私も自身の経験からそういう感覚は鮮明に覚えてます。一生懸命やり尽くしたからこそ次に切り替えが出来るのだと思います。
三船
そうですね。本当にいつも悔いを残さないように生きてきたというところは自分の中では自信があったので、何一つ後悔することなく決断することができましたね。
心に秘めた本当の想い「人生このままではダメだ」
赤星
今はフクオカーナジュニアのクラブ代表、サッカー指導者をされていらっしゃいますが、サッカー選手を辞められてすぐに今のクラブを設立されたのですか?
三船
いいえ、24歳で日本に帰ってきて、25歳でサッカー選手を引退。その後の2年間はサラリーマンをしたんですよ。中古車を販売する営業をしていました。それも本当にご縁というか、元々車がすごく好きだったのもあって、求人広告に募集が出ていたので、面接を受け、それまでの自分の人生の経緯をお話したところ、面接官の方がすごく興味を持ってくれて、「じゃあ来週から来てくれ」というような流れで入社しました(笑)
赤星
ははは。特殊な経歴ですもんね!ブラジルでプロサッカー選手としてプレーしていたということは。
三船
面白がってくれたというのが正直なところでしょうね。それですぐに働き始め、その車屋さんで2年間ぐらい仕事をしました。朝から晩まで仕事をして、休みもほとんどない状況でしたが、自分が思ってた以上にやれている感覚があり、充実していたので、あっという間な2年間だったような気がします。
三船
その車屋さんを辞めることになるきっかけが、2006年W杯ドイツ大会の真っ最中の時、お客さんと車の商談をしてるとお客さんからW杯の話をされたのです。しかし、私はそのW杯の試合を見ていなかったんですよ。
サッカー選手を辞めてからはスパイクも履かない、ボールも蹴らない、そんなふうに過ごした2年でしたので。これまでW杯は人生最大のイベントだと自分の中にあったのに、そのW杯に興味を示してない自分がいるということに自分自身すごくハッとさせられて、、。その時に『本当に自分はブラジルに行っていたのか』というような感覚にまでなってしまって、、、。
赤星
うんうん。
三船
その時にこれは何かちょっと違うなと思い始めて、このままでいいのかなと。サラリーマン人生はすごく安定してきてたし、自分の家族も安定してきてたんですけど、でも何かそういう思いに突然なってしまって、サッカーの世界に戻りたいなと思って、、。
そんな衝撃があった中でなんとなく2、3ヶ月が過ぎ、その年末に、昔からの友人が突然亡くなったんですよ。結婚式間近に心筋伷塞で倒れて、、。その時に、私もいつ死ぬかもわからない。覚悟を持ってブラジルに行っていたという過去があったのに、「人生このままではダメだな」という気持ちが高ぶりました。その2日後ぐらいに会社を辞めますと言って、とりあえず会社を辞めました。当時27歳のことです。
やっぱりサッカーの仕事をしたい
そこから何か自分で仕事をしたい、サッカーの世界に戻れるようにと自分で色々な仕事を探していました。そのタイミングで たまたま通信業界の仕事をされている社長さんとお会いし、その社長さんがされている仕事を自分もしたいとお話をして、事業を始めました。それが自分で仕事を始めるきっかけでしたね。インターネットの回線の販売や通信機器の販売など少しずつ自分で仕事を大きくしていきました。
三船
その事業を3年ぐらいした時に、やっぱりサッカーの仕事をしたいという思いに戻り、昔の仲間達と連絡を取り合って、どうやってサッカーの世界に戻ろうかということを話していました。
ブラジルの街中には色々な人がサッカーが出来る場所としてフットサル場やソサイチ場みたいなのがあるんです。ブラジルに居た頃に私自身もそういった場所にすごくお世話になったんです。そういうサッカーが好きな人が集まれる場所を作りたいなというのがありました。そんな場所を作ろうと思って、関東でフットサル場を運営をしている友人のところに見に行って、福岡でもやろうと決めたのが32歳の時です。そして、新宮にあるブラジルフットサルパーク新宮、この場所に出会って、今に至ります。
赤星
サッカーに対する強い想いがあったのですね。
三船
そうですね。サッカーが好きな人が集まれる場所を作りたいなという想いがすごくありましたね。現在はサッカー選手を目指してる子供達がたくさん来てくれています。
サッカーはあまり教えすぎない。
そこがすごく大切だなと思っています。
赤星
なるほど。クラブの子供達に接する時に三船さんが大切にされてことはありますか?
三船
一番大切にしてることは、子供達・選手達の意思を尊重することです。サッカーはあまり教えすぎない。そこがすごく大切だなと思っています。コーチ達ともいつもそのような話をしてますね。サッカーというスポーツは、グラウンドの中で自分で考え、自分で感じて、自分で選んで、プレーを決断するというようなゲーム性がある競技です。子供達はすごく吸収力が高く、器用な子ほど本当に真似することが上手で大人が教えればすぐ身につけます。しかし、コーチや親から言われたことを忠実に守ることが、サッカーがうまくなる、サッカー選手になるという方法ではないと私は思っています。なので、まずは自分がどうしたいのか、自主性をすごく大事にしています。
あくまでもサッカーというスポーツは、遊びの延長であってほしいと思っています。夢中で遊んでいく中で自分達で色々な発想やイメージを膨らませて、プレーを想像して、それが結果、楽しい!ということを伝えていきたいなといつも思ってます。
赤星
それは人生においてもそうですよね。自分がやりたいことは自分で決める、その当たり前のことが結局は大切になると思います。その心の強さは、スポーツの中から、遊びの中から学べるのかなと思います。
社会の全体像を知るということはすごく大事なこと
赤星
現在、『飲む応援フクオカーナプロジェクト』に参画頂いておりますが、三船さんに『飲む応援』のご提案をさせていただいた時に、とても素晴らしい取り組みだと仰ってくださった理由がとても印象的でした。社会をまだ知らないクラブの若いコーチ達にも、『飲む応援』を通して『社会』を知ってほしい。それは三船さんのこれまでのご経験からくる言葉だったんですね。
三船
今、振り返ってみると、サッカーの世界だけでは知りえないことがたくさんあったなとすごく思います。色々な人が色々な形で関わって、社会が成り立っている中に、サッカーがある。自分自身を取り巻く環境というのは多種多様で、社会の全体像を知るということはすごく大事なことだと思ってます。色々な方々が自分達のクラブを応援してくれてる。そういう方々の存在を知ることで、感謝だったり、そういう感覚を早く感じてほしいなと。それはコーチ達はもちろん子供達にも感じて欲しいです。
三船
大きなスポンサーがいて、お金を支援してくださること以上に、小さな支援でもたくさんの人が自分達のことを応援をしてくれることを若いコーチ達や子供達に伝えていきたいと思っていました。なので『飲む応援』の話を聞いた時、私が考えてることとすごくマッチングすると感じました。
赤星
そうですね。支援頂いていることがわかりやすく、見えやすくしようというのが『飲む応援』のコンセプトです。これから『飲む応援フクオカーナプロジェクト』を進めていき、支援が大きくなるにつれて、クラブが今以上に活動できる幅が広がっていくと思います。『飲む応援』を活用して、福岡の子供達に対して、クラブに対して、三船さんはどのような活動をしていきたいと思われていますか?
クラブへの愛や想いが募っていく
『フクオカーナのグラウンド』を作りたい
三船
私が考えてることは、自前のグラウンドを持つことです。サッカークラブは自前のグラウンドを持つことによって、そこに歴史が刻まれるのではないかと思っています。そこにクラブへの愛だったり、想いが募っていく、形として残っていくものだなと思っています。
今、フットサル場を2ヶ所運営しておりますが、常々思うのは、サッカーのフルピッチのグラウンドを持ちたいなと。そこにサッカーが大好きな子供から大人、おじいちゃんやおばあちゃん、様々な世代の人達が集まれる場所を作っていくのが私の夢です。
『フクオカーナのグラウンド』を作っていきたいと思ってます。
赤星
『飲む応援』の輪が大きく広がっていく必要がありますね!三船さんの夢の実現に向けて私達もそのお役に立てるようにサポートさせて頂きます。ぜひ一緒に頑張りましょう。
三船
今回のインタビューで色々な想いを改めて呼び起こしてくれてありがとうございました。
ボールで繋がる輪は、どこまでも広がっていきそうです!!
赤星
こちらこそ素敵なお話をお聞かせくださいましてありがとうございました。
どこまでも広げていきましょう!!
今回のインタビューでは、「『飲む応援』自動販売機」を設置いただいたCAF(Club Atletico Fukuocana)アカデミー・ジュニアユース代表の三船竜馬様をご紹介させて頂いております。 代表の三船さんは現役選手時代、単身ブラジルに渡りプロサッカー選手としてご活躍されました。現在は生まれ育った福岡の地で『地元のサッカーを愛する子供達の為に!!』その想いでアカデミースクールを運営されています。 三船さんは私と同じ地元福岡市出身、同じ中学サッカー部の先輩です。4歳年上の三船さんと学生時代は同じピッチでサッカーをした事は無かったのですが、サッカーが繋いでくれたご縁で、こうして今回、憧れの先輩と私達が生まれ育ったまちの子供達の為に一緒に『飲む応援フクオカーナプロジェクト』を進められる事をとても嬉しく光栄に思います。CAF(Club Atletico Fukuocana)アカデミー・ジュニアユースの皆様、スタッフ、関係者、応援頂いている全ての皆様、宜しくお願い致します! 私たち株式会社SSBは「飲む応援」に参画いただきましたCAF(Club Atletico Fukuocana)アカデミー・ジュニアユース様の福岡の子供達や社会・地域に対する思いをしっかりと受け止め、その先にある明るい未来を作り出せるよう努めて参ります。最後までお読みくださいましてありがとうございました。 |
CAF(Club Atletico Fukuocana)アカデミー・ジュニアユース代表 三船竜馬
1980年生まれ、福岡市出身。
9歳からサッカーを始め、プロサッカー選手を目指しサッカー漬けの学生生活を送る。18歳でブラジルにサッカー留学し、19歳で現地プロサッカーチームとプロ契約。24歳で帰国までサンパウロプロリーグでプレーする。
■経歴
下山門中→筑前高校
1999~2002 アトレチコ・ジョゼンセ(サンパウロ州セリエB)
2003~2004 ECタウバテ(サンパウロ州セリエA-2)
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CAF(Club Atletico Fukuocana)アカデミー・ジュニアユース
『福岡から世界へ!!』
CAF(Club Atletico Fukuocana)アカデミー・ジュニアユースは福岡県にあるフットサルチームフクオカーナより「サッカー選手を育成する!」を方針として発足したサッカースクール・チームです。プロサッカー選手指導の元、「福岡からプロサッカー選手を育成する」ことを目的とし、多くの少年の夢を現実にするべく設立しました。
「サッカーが好きな子たちが集まる場所」そんな環境を作りたくてこのアカデミーを設立しました。ブラジルのプロリーグでプレーしたコーチとサッカーを楽しみましょう。 私たちは、子どもたちがのびのびとサッカーを楽しみ、学ぶ環境を作りたいと思います。そして、将来サッカー選手を夢見る子たちの力になりたいと願っています。
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■ 公式HP
https://fukuocanajr.com/
■ Instagram
https://www.instagram.com/c.a_fukuocana/
■ アクセス
<ブラジルフットボールパーク新宮>
〒811-0102 福岡県糟屋郡福岡県糟屋郡新宮町大字立花口字角田246-55
電話番号:092-410-2945
平日:15:00~23:00 土日・祝日:09:00~23:00【完全予約制】
HP:http://brasil-futsal.com/
<ブラジルフットボールパーク伊都>
〒819-0383 福岡県福岡市西区田尻2667
電話番号:092-410-294
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Club Atletico Fukuocana クラブ アトレティコ フクオカーナ
クラブ アトレティコとは、スペイン語(特にアルゼンチン)で総合スポーツクラブという意味。
フクオカーナとは、福岡人による福岡人の為のクラブという造語。 直訳すれば、『福岡人の総合スポーツクラブ』という意味となる。 生まれ育った地元福岡に感謝し、スポーツ活動を通じて地域に貢献して活力を与え、恩返ししたいという気持ちが込められている。
C.A.フクオカーナは、強いチームを作ることが目的ではなく、サポーター(市民)にとっての生きがいづくり、仲間作り、サポーター(市民)の生活の質を高めるために、スポーツを通じて地域に活力を与え、地域貢献することを約束します。 どんな試合でも全選手が常に100%の力を出し切り、サポーターとクラブが支えあいながら喜びを共有できるクラブを目指します。
■ 公式HP
http://fukuocana.com/
■ Instagram
https://www.instagram.com/c.a.fukuocana/
株式会社SSB 代表取締役 赤星拓
1984年生まれ、福岡出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。福岡大学卒業後、2007年当時J2サガン鳥栖に加入し2011年にJ1へ昇格。2018年シーズン限りで現役を引退。現役引退後、ベストアメニティホールディングスに在し、レジャー事業を担当。2021年5月に株式会社SSBを設立し、スポーツ振興支援全般、全国のプロから民間クラブまで広くスポーツマーケティングのサポート事業を展開し、スポーツを通じた地域貢献の活動に取り組む。
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■ 公式HP
https://ssbiz.jp/
■ Instagram
https://www.instagram.com/akahoshi.taku_1/
【撮影場所】
ブラジルフットボールパーク新宮
企画製作:リタジャパン株式会社